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ロベルト・バッジオ 土壇場の同点ゴール 1994年アメリカワールドカップ
「下駄を履くまでわからない」シリーズ第2弾。
1994年のFIFAワールドカップは、アメリカで開催された。この頃は良くサッカーの試合をテレビで見ていました。私は個人的には、イタリアの至宝、ロベルト・バッジオの大ファンだった。この大会でのバッジオの活躍を大いに期待していた一人だった。
この大会のイタリアは、暑さにやられてグループ・リーグでの戦いからボロボロなスタートだった。ロベルト・バッジオはそのボロボロのイタリア・チームを象徴するかのように調子が上がってこない。そんなイタリアも何とか決勝トーナメントまで駒を進め、決勝トーナメント初戦の相手がナイジェリア。試合は、後半終了間際まで、1-0でナイジェリアのリード。テレビの実況も「ロベルト・バッジオの94年というのも、これで終わってしまうんでしょうかね?」と解説の人に聞いているが、誰もが「バッジオの94年の夏は、調子が全く出ないまま終わった。」と思っていたのではないかと思う。それがついに目覚めた一発がこれ。

ロベルト・バッジオ 土壇場の同点ゴール - 1994年アメリカワールドカップ・ナイジェリア戦



「ようやく男になりました。ロベルト・バッジオ」と実況も興奮気味だ。この大会でのその後のバッジオの躍進は、イタリア・チームをファイナルまで導いていった。
が悲劇の結末が待っていた。
94年アメリカ大会は、バッジオはチャンピオンにはなれなかったけどバッジオの大会だったな~。



ロベルト・バッジオは、ワールド・カップに3度出場している。1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会、1998年フランス大会。この3度の大会では、イタリアは全てPK戦で敗れている。アメリカ大会での決勝のブラジル戦では、バッジオはイタリアPKの5人目で登場し、これを外してブラジルの優勝が決まった。

ロベルト・バッジオには名言がある。「PKを決めても誰も覚えてないけど、外したら誰もわすれないんだ。」と。

ロベルト・バッジオ PK失敗 - 1994年アメリカワールドカップ・ファイナル・ブラジル戦


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2012-11-17 Sat 09:39
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1994年開幕戦の伊東勤の逆転サヨナラ満塁ホームラン
「下駄を履くまでわからない」シリーズ第1弾。
「勝負は下駄を履くまでわからない。」というが、その由来は諸説あるようですが、「勝負に関して全て終わるまで結果はわからない」という意味でしょう。「碁の勝負は最後まで判らないとの意味で、勝負に勝った者が下駄を履いて帰るというのだったらしいが一般的な勝負事にも使われるようになった。」とか、はたまた「昔柔術で果し合いをするとき、はじめるときに下駄を脱いで果し合いをはじめ、果し合いに勝った者がまた下駄を履いて帰れる、だから「勝負は下駄を履くまでわからない。」とこのようなことに由来しているようです。

本日よりこの「勝負は下駄を履くまでわからない。」をいくつか。まずプロ野球。

1994開幕戦の西武対近鉄での伊東勤の開幕戦逆転サヨナラ満塁ホームラン。今年のオフからロッテ監督に就任した伊東勤。西武ライオンズの黄金期を清原、秋山、石毛、辻らとともに築きあげた名捕手。 1994年4月9日の開幕戦(西武ライオンズ球場)。西武打線は8回まで近鉄の先発・野茂英雄の前に無安打。9回表、近鉄は西武の先発・郭泰源から石井の3ランホームランで勝利を目前にした。野茂はあと3人で「ノーヒット・ノーラン」の大偉業を達成する雰囲気だった。しかし、その大記録を打ち消したのは、清原和博。西武は9回裏、先頭打者の清原の2ベースヒット。しかしまだ野茂の完封勝利は残っていた。西武は清原のヒットを皮切りに1死満塁のチャンスを作る。近鉄はピッチャーを抑えの赤堀にスイッチするが、伊東は8球目をレフトスタンドに運び、史上初の開幕戦逆転サヨナラ・グランドスラムを達成した。開幕戦逆転満塁サヨナラ・ホームランというのは、後にも先にもこの伊東のホームランだけでしょう。


1994開幕戦の西武対近鉄での伊東勤の開幕戦逆転サヨナラ満塁ホームラン



2012-11-16 Fri 15:48
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